シーン・フロム・レーシングメモリーズ
富士スピードウェイのストレートを行くGTマシンの隊列。コアなファンでなくとも、メインスタンドなどの風景から、これが富士のストレートだろうというところまでは、簡単に分かるはず。そこから一歩踏み込んで、マシンの種類やカラーリングから時代を判断するとなると、一気にハードルは高くなるはず。そこで問題。これは何時のレースで勝ったのは誰? そして“マイスターを襲った不運”とは?
分かった方、もっとヒントが欲しい方は、Twitterでどんどん論議してください。ネタバレ&ウンチク大歓迎です! ヒントは「これが見納め」。そういえばスタンドの風景も、今とは少し違っているような…。そして何の“マイスター”なのかに気が付けば…。どうです、分かりましたか?
2003年8月3日
全日本GT選手権第5戦(富士スピードウェイ)
優勝マシン:No.18 TAKATA童夢NSX
優勝ドライバー:道上龍/セバスチャン・フィリップ選手
1994年に本格開催された全日本GT選手権(JGTC)にとって2003年は、10周年となる節目のシーズンでした。また、1965年にオープンした富士スピードウェイも、コースレイアウトの変更まで含めた全面改修を行い、05年にリニューアルオープンを行います。そのため、04年シーズンは営業休止となり、その意味からも03年8月に開催されたJGTC第5戦は、歴史に残る“旧コースでラストのビッグレース”でした。
この“ラストレース”でも、優勝候補の筆頭はやはり、No.38 auセルモスープラでした。注目のルーキーから期待の若手、そして中堅にしてチームのエースへと成長してきた立川祐路選手がベテランの竹内浩典選手とコンビを組む。そして、ドライブするスープラは高速性能に優れ、特に富士では絶対的なアドバンテージを誇っており“最速マシン”の名をほしいままにしていました。さらにこの03年シーズンのスープラは、前年までとはパッケージングを大幅に変更。2リッター直4ターボの3S-Gに代えて、5.2リッターV8自然吸気の3UZ-FEを搭載。このレースの予選でもトップ2。フロントローを独占し、さらに4〜7番手グリッドまでをスープラが占めました。
そんなスープラ軍団に割り込んだのがNo.18 TAKATA童夢NSXです。NSXというと最速マシンのイメージが強いですが、この年は車輌規則に伴ってエンジンを同じミッドシップ搭載ながら、横置きから縦置きにコンバートしていました。しかし、ここまではポールも奪えず、決勝でも未勝利でした。しかもコーナリングマシンのNSXが苦手とする高速コース、富士スピードウェイ。苦戦は必至と言われたのです。
ところが…。アタッカーの道上龍選手が渾身のドライビングで予選3番手を奪い取り、スープラ軍団の中、3番グリッドを獲得しました。
決勝でも、No.18 NSXは好調。トップを快走するNo.38にはジワジワ引き離されるものの、TOM'Sのスープラ、No.23 ザナヴィニスモGT-Rとの2番手争いを繰り広げます。
ところがレースも大詰めとなったところで思わぬ展開に。トップを独走していたNo.38のペースが落ちてきました。実は右フロントタイヤが、スローパンクチャーに見舞われたのです。後続との差が見る見る縮まって、ラストラップへ。スロー走行となったNo.38 スープラを、ヘアピンでNo.18 NSXがパス。さらにNo.23 GT-Rも。大方の予想に反して、見事トップチェッカーを受けたNo.18 NSX。すぐ背後にはNo.23。もはや3輪状態となったNo.38 スープラを立川はなんとか操り、トップから約5秒差での3位をキープしました。劇的なレース、最後まで諦めない3選手には等しく、大きな拍手と歓声が送られ、富士の旧コースのラストレースに幕が下ろされました。