日本グランプリの歴史

フォーミュラーカーそのものは確かに日本でも受け入れられるようになったものの、日本人が必ずしも活躍できているとは限りません。促進させるためにJAFグランプリが登場し、そして自動車レースとして既に国内で高い知名度を獲得していた日本グランプリの双璧として掲げられたその代名詞は、あまり宣伝として役立たなかったと思ったほうがいいかもしれません。日本グランプリに関して言えば、1962年開催から現在まで続けられている。自動車産業が本格的に日本で発達し始めた昭和中期以降となっているので、まさに全盛期にこそこのレースは人々の熱狂をさらった。

日本グランプリの黎明はレースといえば必ずとも言っていい、日本の有名サーキットである鈴鹿サーキットの完成を機に開催されたことがすべての始まりとなっています。この大会を機に日本でも本格的な自動車レースが活発化していき、各地の小さな大会などを含めて日本全体が自動車というものに憧れと同時に、その性能の高さに見惚れていった。

そんな中でやはり気になるところは、フォーミュラーカーというものの存在です。元々日本グランプリはスポーツカーを主体としたレースとして開催されましたが、排ガス対策のための開発に集中したいと主張した日産を機に、一時期は大会そのものの存続が危ぶまれた時もある。いわばレースそのもののはいいが、通常の自動車では環境に与える影響が甚大であるため、必然と風当たりが強くなってしまうことに恐れたといってもいいだろう。

その後スポーツカーでのレースそのものが終焉を迎えてしまい、日本グランプリは一つの終わりとともに1つの新しい始まりを迎えた。これこそフォーミュラーカーレースが本格的にスタートするきっかけになっていきます。

カーレースといえば

F1世界選手権化へ

フォーミュラーカーレースとして変革した日本グランプリは1971年に改めてスタートしていき、日本も着実にレース用としてフォーミュラーカーは普及していきます。通常の自動車ではあまり馴染みはないので、だからこそレースにて使用されるその独特のフォルムと性能の高さに惚れ込むファンも増えていきました。オイルショックの影響で2年ほど開催されなかった時もありましたが、JAFグランプリと並んで1970年代は日本の自動車レースで高い人気を獲得していったのは事実。

そんな日本グランプリでしたが、もう一つの転換期となっているのが1976年に開催された大会で初の『F1シリーズ開幕』が行われたことだ。大会名は『FI世界選手権イン・ジャパン』と称されましたが、最悪過ぎる結果を残してしまいます。合ってはならない事故、死亡事故だ。それも運転手ではなく観客が死亡するという結末を迎えてしまったことで、翌年からはF1の開催は日本では一時中断という形で見送られてしまい、以降10年ほどの間日本グランプリという名前のレースは開催されなくなってしまいます。

悲劇的な事故を迎えてしまい、1970年代後半から1980年代中盤までは日本グランプリにとってはまさに黒歴史そのものだったといえるでしょう。そんな中で、復活の兆しを見せ始めるのは1987年に鈴鹿サーキットにて開催されたレースにより、日本グランプリは事実上の再起を果たすことに成功した。

鈴鹿サーキットの老朽化・富士スピードウェイへの移動

日本グランプリは開催当初は鈴鹿サーキットの完成と同時に、国内自動車レースとなって登場しました。悲劇的な事故も発生するもなんとか大会そのものは存続させることに成功します。1987年からの再度日本グランプリを関したF1シリーズが開幕されていくものの、40数年という時間を共に過ごした鈴鹿サーキットに限界という問題が生じます。当たり前の話ですが、建物が時間が経てば老朽化という深刻な悩みが生じます。それは鈴鹿サーキットも例外ではなく、コースの安全性や施設の老朽化などでこのままで開催出来ないとして同時期に大幅な改修工事を行っていた富士スピードウェイでの開催が、2007年に約30年ぶりに決定した。

約2大会は富士スピードウェイにて開催されるものの、その後国際自動車連盟による決定で1カ国1開催という、ドイツやイタリアにも適用されているルールを日本にも課してきたのです。こうした状況下、富士スピードウェイは2010年開催予定だった大会を中止し、その後の大会は鈴鹿サーキットにて再度行われることが決定した。

憧れのあの車

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大会そのものの結果について

大会そのものの内容についてですが、確かに日本人も出場しているのは間違いない。1976年にF1開催が決定するまでは日本人が大会を制することが頻繁に行われていましたが、世界大会となった後の戦績はほぼ外国人が独占する形となってしまった。フォーミュラーカーが普及すればという形で始められ、日本人が楽しめるのであればと思ったメーカーの思惑が違う方向へと転がっていってしまった結果と言えるでしょう。

簡単にまとめ見ると、過去これまでの戦績で日本人がF1となった日本グランプリで優勝した事は一度もない。

サーキット 勝者 所属チーム
1977年 富士 ジェームス・ハント マクラーレン
1987年 鈴鹿 ゲルハルト・ベルガー フェラーリ
1993年 鈴鹿 アイルトン・セナ マクラーレン
1999年 鈴鹿 ミカ・ハッキネン マクラーレン
2005年 鈴鹿 キミ・ライコネン ルノー
2011年 鈴鹿 ジェンソン・バトン マクラーレン
2015年 鈴鹿 ルイス・ハミルトン メルセデス

普及を目的にフォーミュラーカーを導入したものの、結果的に日本勢が活躍できる場が奪われてしまったことを明らかにしているような戦績だ。世界大会だからこその壁といえばそれまでですが、これではJAFグランプリにて選手宣誓拒否が行われた経緯にも納得できてしまいます。