全日本スポーツカー耐久選手権の開幕

1992年開催の大会を機に、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権は事実上の終焉という結果を迎え、その後も大会を開催するも諸々の事情があって開催という土台すら整えられずにいました。また同時期に流行したフォーミュラーカー対応の自動車レースが主流となっていたこともあり、スポーツカーの自動車レースは90年代以降になると急速に衰退へと至り、その後呆気無いほどにすべての大会が消滅するまでに至ってしまったのです。元々レースそのものを日本が開催しているという印象も薄いため、集客利益などの問題も出てきてしまったことが大きいでしょう。

そんな中で、新たに設立されたSEROによって世界大会の中でも耐久レースとして非常に有名なル・マン・シリーズを九本とした、参加しやすい自動車レースを計画することになります。その大会こそ、全日本スポーツカー耐久選手権だ。これは日本はもちろん、ゆくゆくは世界を意識した巨大な大会になるようにと構想されていたのが当初の予定でした。けれど予定は予定、あくまで段取りの中で組み込まれていたものでしかなかったものの、壮大な計画だけはきちんとあったようです。

では成功したのかというと、鬱々たる惨状しかもたらしませんでした。

カーレースといえば

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耐久選手権としての価値は

全日本スポーツカー耐久選手権についていえば、その結果は全く伴わなず、集客は愚か、参加者すらまともに集まらないというどこまでもお粗末な結果した残せなかったのです。世界視野を兼ねた計画で開催された大会でしたが、2006年・2007年の二年のみで呆気無く大会そのものが修了するという物悲しくなってくるような結末を迎えてしまったのだった。世界で開催されている超有名な自動車レースのルールを参照していることもあり、関係者は間違いなく活躍できると踏んでいたものの、肩透かしどころの話とはいえないくらい悲劇としか言いようのない事態を起こしてしまいます。

それもそのはず、すでにこの頃にはかつての全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権に成り代わる、別シリーズの耐久自動車レースが1994年から開催されていたのです。それは日本をベースとしながらも、2005年からFIAに公式認定される全日本GT選手権だ。

全日本GT選手権について

そんな全日本GT選手権についてですが、1993年に開催されてから日本を中心として活躍していき、時に海外での開催や参加者が募っていくようになります。こちらの大会も当初はル・マンシリーズに倣うように始まっていきましたが、その後日本独自のカテゴリーを採用していくように変化し、結果ユニークな大会へと変わっていきました。

ただこの選手権自体も開催当初は決して安泰といえるような並には乗りきれておらず、開催初年度はエントリーした自動車はわずか2台と、白黒つけるにははっきりしていますが、迫力が一切ないというお粗末な結果となっています。肝心のスタートラインでダッシュを切るどころか、失速起こして撃墜されてしまうかのような展開には、さすがに多くの選手が大丈夫なのかと心配したはず。しかし小規模も想定してか、最低でも出走台数が2台あれば大会は決行されるとの事だったので、初年度から台数が少ないながらもチャンピオンが登場するなどある意味波乱の幕開けを切った。

日本から手を離れて

その後全日本GT選手権は2004年までの10年間、無事に大会を繋げていくことに成功し、この頃から日本で数少ないスポーツカー選手権としての市民権を日本で確実なものとし、さらに世界各地から参加者が集まるなどの反響を見せ始めていきました。設立されてから6年後の2000年には海外進出も果たしていくとアジアやアメリカといった各国において、その地位が認められていくようになります。

大会側としては喜ばしいことかもしれませんが、これによって全日本選手権という名称を掛けられなくなるという弊害が起こっていった。同時に、全日本GT選手権はJAFの管轄から離れてしまい、FIAの公認によってSUPER GTとして新生することになった。日本で開催されていた大会だったが、世界大会として受け入れられたという点は喜ぶべき点でしょう。ただ日本国内での大会が益々減っていくという意味では複雑なところだ。

憧れのあの車

耐久レースはほぼ無くなった

全日本スポーツカー耐久選手権は前述の全日本GT選手権がFIAに認定されたこともあって、耐久レースとしての価値を見出すことが出来ず、また曖昧な基準のせいもあって開催されてから2年足らずで終わってしまうという、散々なものになってしまった。この頃には国内でも自動車レースといえばフォーミュラーカー一択という、人気の偏りが生じるようになってしまったことも明らかだった。