スポーツカー選手権開催なるも

ただ一時、スポーツカーを利用したレースを復活させようとする試みは行われたことには行われていました、それが2001年に開幕したFIA スポーツカー選手権だ。ただこの世界大会も2003年までと計4回の大会で終了してしまっている時点で、衰退を通り越して完全な終焉を迎えてしまったと言っていいかもしれません。現時点でスポーツカー選手権と辛うじて名の付く大会は、ル・マン24時間レースのみとなっているものの、レースゆえの苛酷さもあって参加しようと決断に戸惑うレーサーがいてもおかしくないはずだ。

そもそもどうしてここまでスポーツカー選手権が落ちぶれてしまったのでしょう。由縁は色々ありますが、やはりその1つにはル・マン24時間レースの歴史における1955年の事件が大きく関係している。

カーレースといえば

安全性の問題

1955年に開催されたル・マンレースで、ドライバーを始めとした300名以上の死傷者を出した事件で、各地でレースを自粛・禁止する事を決定する事態に追い込まれました。ただそうなるのも時間の問題とも言われていたのも事実。以前から運営方法やレギュレーションなどにも度々問題が発覚しては、FIAと大会主催者側との軋轢が取りざたされるなど、トラブルが耐えなかったケースもいくつか散見されています。

やがて安全面を欠いたままレースに参加したために安全配慮をしていなかったことが露呈してしまい、スポーツカーレースそのものの人気は低迷していきます。しかし一時期はポルシェやフェラーリといった、代名詞たる企業の参戦によって性能は益々調節されて制度を挙げていくこととなり、総合的な人気はF1をも凌ぐものになった時期も確かにありました。

このまま行くかと思われたが、スポーツカーレースを窮地に追い込む更なる事態が巻き起こる。

オイルショックによる撤退

レギュレーションの変化による影響もありますが、大きくメーカー撤退を促してしまったのが1970年代に起こったオイルショックもまた深刻なダメージをもたらします。事変によって有名ワークスはこぞって撤退を始めるも、ポルシェなどのメーカーが参戦することで、なんとか食いつなごうとする動きも少なからずありました。ですがそれもほとんど手の打ちどころがない状態まで追い込まれてしまいます。

また1955年の事件を結果的に引き起こしてしまったメルセデス・ベンツが、スポーツカー競技から30年という時間もの間身を引いて静観する構えに移行したことも少なからず関係している。これでもう少し状況が違っていれば、また結果は変わっていたかもしれませんがそれも余り意味は無いのかもしれません。

憧れのあの車

変遷するレース規定

大会の終了を促す原因となったのは安全面という問題が大きい。また同時にレースに関する規定が年々変化して安定しないというのもあった。ちなみに代表的なレース規定の変遷としては、

  • 1953年:2座席、ドアを有してタイヤを露出させないこと
  • 1963年:排気量無制限プロトタイプカー対象にプロトタイプトロフィー制定
  • 1968年:プロトタイプカーの排気量を3Lまでに、スポーツカーの排気量を5Lまでに制限
  • 1982年:排気量無制限のクローズドボディプロトタイプで、燃料使用総量制限を規約
  • 1989年:レース距離を480kmに統一
  • 1992年:レース距離を500kmに。(一部例外)

このようになっている。気になる変遷をピックアップしてみたが、あまりの規定変更にはさすがに呆気にとられるはず。それまで意識することもなかった事が、次々と問題としてあげられるようになったのも、最初から規定をあやふやにして速さを重視しすぎた事が原因だろう。

かつてはその高い人気から世界中の人々から愛されていたスポーツカー選手権も落ちぶれるところまで落ちぶれた結果、有名なレースを除いてその全てが開催されなくなってしまったことは、業界としても頭が痛い点だ。時代といえば時代なのかもしれませんが、これまで出してきた被害者・犠牲者のことを考えれば因果応報とも言うべきかもしれません。いずれそんな問題も気にしなくなる、もしかしたらそんなふうに考えていた人もいるのではないでしょうか。